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2026年度 第22回日本サッカー殿堂 掲額者決定 澤穂希氏、今西和男氏、田嶋幸三氏の3氏が殿堂入り
2026年08月03日

日本サッカー協会(JFA)は、2026年度第22回日本サッカー殿堂に下記の3名を掲額することを決定しました。
選手選考は、男子部門に加え、今年度より女子部門の投票を開始しました。その結果、元なでしこジャパン(日本女子代表)の澤穂希氏が選出されました。
特別選考では、サンフレッチェ広島の初代総監督である今西和男氏(故人)とJFA前会長で、現名誉会長の田嶋幸三氏を掲額することが決まりました。これにより、日本サッカー殿堂の掲額者とチーム数は100名と3チームとなりました。
選手選考
澤 穂希(元なでしこジャパン<日本女子代表>選手)
1978年9月6日生まれ、東京都出身
小学2年生から府ロクサッカークラブで本格的にサッカーを始め、中学生になった1991年に日本女子サッカーリーグ屈指の強豪である読売ベレーザ(日テレ・ベレーザ)に加入。同年7月に日本女子サッカーリーグデビューを果たすと、15試合に出場してチームの優勝に貢献。その後もチームの中心選手として活躍。1999年から5年間、さらに2008年から3年間は、アメリカの女子プロリーグでプレーした。2011年にINAC神戸レオネッサに移籍。2015年までプレーし、現役を引退した。
日本女子サッカーリーグ10回、皇后杯 JFA 全日本女子サッカー選手権大会での11回の優勝を経験するなど、多くのタイトル獲得に貢献した。
日本女子代表には15歳で初選出され、国際Aマッチデビュー戦で4得点の活躍。10代で1995年のワールドカップおよび1996年のアトランタオリンピックに出場した。その後も日本女子代表の中心選手として活躍し、FIFA女子ワールドカップには6大会連続、オリンピックに4大会出場するなど国際舞台でも輝かしい実績を残した。国際Aマッチ205試合出場83得点は、男女を通じて歴代最多(2026年現在)の記録である。
FIFA女子ワールドカップドイツ2011では主将としてチームをけん引し、日本サッカー史上初のワールドカップ優勝に大きく貢献。大会では5得点1アシストを記録し、日本人初となる得点王とゴールデンボール(大会最優秀選手)の個人賞二冠を達成した。さらに、そのシーズンのFIFA最優秀選手賞をアジア人で初めて受賞した。2012年のロンドンオリンピックでは、サッカー男女通じて初となる銀メダル獲得にも貢献。現役最終年となった2015年にもFIFA女子ワールドカップで準優勝を果たした。
特別選考
今西 和男(元日本代表選手、サンフレッチェ広島初代総監督、日本サッカー協会強化[技術]委員会 元副委員長)
1941年1月12日生まれ、広島県出身
広島県立舟入高校でサッカーを始め、東京教育大学(現、筑波大学)卒業後に東洋工業(マツダ)に入社。東洋工業サッカー部のDFとして日本サッカーリーグ4連覇に貢献し、日本代表にも選出された。
現役選手引退後は一旦、社業に専念したが、1982年、「サッカーどころ・広島」の伝統を継承するとともに、低迷したマツダサッカー部の再建を担うべく、監督としてサッカー界に復帰。その後、同サッカー部のJリーグ参入やサンフレッチェ広島の創設に大きく貢献した。
日本サッカーにおけるゼネラルマネージャー(総監督)の草分け的存在として、プロサッカークラブやチーム運営の基盤を確立。また、アカデミーを整備し、育成した選手をクラブの中核に据える「広島モデル」を構築するなど、他のクラブに範を示した。さらに、選手の発掘・育成、指導者養成にも卓越した手腕を発揮。後に日本代表監督となるハンス・オフト(オランダ)、1994年のJリーグ1stステージ優勝に導いたスチュアート・バクスター(イングランド)ら優れた外国人監督を招聘し、広島のみならず日本サッカー界全体の発展に寄与した。また、現日本代表監督の森保一をはじめ、風間八宏、小林伸二、松田浩、高木琢也、森山佳郎ら、後に優れた指導者として活躍する人材を多数送り出したことも高く評価される。
1997年にJFAの強化委員会(現、技術委員会)の副委員長に就任。日本が初出場を果たした1998年のFIFAワールドカップフランス大会や自国開催となった2002年日韓大会の日本代表チームを支えた。
田嶋 幸三(元日本代表選手、日本サッカー協会前会長、現名誉会長)
1957年11月21日生まれ、熊本県出身
小学1年生のとき1964年の東京オリンピックを観戦したことを機にサッカーに関心を持ち、中学校では仲間と共にサッカー部を立ち上げ、本格的にサッカーを始める。埼玉県浦和市立南高校の3年時には主将として全国高校サッカー選手権大会優勝を果たした。教員・サッカー指導者を志して筑波大学に進学。大学3年時に日本代表に選出されFWとして活躍、国際Aマッチ7試合に出場した。
卒業後は古河電工に入社し、同サッカー部でプレー。1980年から1983年までの間に日本サッカーリーグ(JSL)39試合に出場し、6得点、3アシストを記録。
現役引退後、本格的にコーチ学を学ぶため、西ドイツ(当時)にあるケルンスポーツ大学に留学。1960年から日本代表のコーチを務めたデットマール・クラマー氏の下で研鑽を積み、西ドイツサッカー指導者資格B級ライセンスを取得。1996年にはJFA公認S級コーチライセンス(現、JFA Proライセンス)を取得した。
1999年にU-16/17日本代表監督に就任し、2001年にはU-17日本代表を率いてFIFA U-17世界選手権大会(現、FIFA U-17ワールドカップ)に出場。2002年にはU-19日本代表監督を務めた。
同年にJFA技術委員長に就任。JFAアカデミー福島の創設に携わり、開校した2006年から2012年まで同アカデミーのスクールマスターを兼務。その後、JFA専務理事、副会長を歴任し、2016年には、JFA史上初となる会長選挙を経て第14代会長に選出された。同年に発生した熊本地震では被災地の復興支援に尽力。2020年以降の新型コロナウイルス感染症拡大下においては、全国のサッカークラブなどサッカーファミリーの救済に取り組んだ。また、JFAの登録制度改革や組織改革を推し進め、新たな時代に向けて日本サッカーの基盤再構築に力を注いだ。
2015年から国際サッカー連盟(FIFA)理事(2016年からはFIFAカウンシル)を務めるとともに、アジアサッカー連盟理事や東アジアサッカー連盟会長、日本オリンピック委員会副会長などを歴任。世界およびアジアのサッカー界の発展に尽力するとともに、日本スポーツ界の発展にも貢献した。
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