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「何かをしなければ。日本における企業として」東日本大震災から10年~リレーコラム 第15回~
2021年04月09日
東日本大震災から、10年の時が経ちました。国内外から多くのサポートが寄せられ復旧が進んだ一方で、復興にはまだ長い道のりが残されています。それぞれの立場で、東日本大震災とこの10年間にどう心を寄せ、歩んできたか。ここではサッカー関係者のエッセイやコラムをお届けします。
第15回は、アディダス ジャパン株式会社で震災当時にサプライチェーンマネジメントの業務に携わっていた池田知之さん、北川雄平さん、中川俊介さんの話をもとに当時を振り返ります。
東北を襲った大震災は、震源地から遠く離れた首都圏にも多大な影響を及ぼした。鉄道などの交通網が遮断された10年前の3月11日、記憶に残るのは、会社から徒歩で帰宅したこと。そして金曜日だったことだ。当時、池田知之、北川雄平、中川俊介の3人は、アディダス・ジャパンの同じ部署であるサプライチェーンマネジメントに属していた。震災直後、基本的に自宅待機という指示が会社からは出ていた。それでも、週明けには何人かが出勤していた。在庫管理を担当する部署でもある池田らのチームも、種々の確認のために会社へと向かった。
信じられないようなニュースが、次々と飛び込んでくる。被害の状況が日を追うごとに拡大してくる現実を前に、通常のビジネスができないということはすぐに理解できた。いま本当にやらなければならないことは何か。オフィス内で情報交換が行われた。その中で、話題は「会社として、何かできることはないだろうか」ということに変わっていった。「我々はメーカーですので、被災地に商品を提供することで何かの支援になるのでは。日本が大変なことになっている緊急事態に、何かをしなければ日本における企業としておかしいよね、というのが事の発端でした」(池田)。14日の月曜日、各部署のリーダー宛てに一斉メールが配信された。内容は被災地に対しての物資支援についてだった。東北の3月中旬は季節感としてはまだ冬だ。書面には防寒物や手袋、タオルなどの小物類など、必要とされそうなもののリストが記されていた。
まずは自分たちの手元にどのような在庫があるのか。そのリストアップから始めなければならなかった。ところが、通常通りにはいかなかった。商品を保管している倉庫にも被害が出ていたのだ。ガラスが割れ、スプリンクラーが作動し、倉庫内が水浸しになっていた。それでも担当者は、「やれるところはやる。あとは何とかする」と、頼もしい言葉で応えてくれた。時間との勝負だということは分かっていた。中川が担当者と連絡を取り、物流の状況を確認した中でこのような話が出てきた。1995年の阪神・淡路大震災の経験からすれば、2、3日後になると、被災地向けには公共物資の輸送が優先される。一般の物資は届かないというものだった。とにかく急がなければならない。物流担当者は「今日中に荷物の出荷指示が完了できれば、あとはこちらでベストを尽くす」と答えた。結末が不確定な状況で、行動を起こさなければいけなかった。残されたのは約3時間。居合わせたアウトレットチームの在庫管理の担当者たちとも協力し、商品をかき集めた。
「在庫に何があるのか。どの程度ならば支援物資として融通が可能なのか。アウトレットチームの方々も、1時間半ぐらいで明細を作成しました」(中川)。出荷指示が行われたのは、被災地にまだ荷物が届くかどうかぎりぎりの期限。3月15日の火曜日だった。行動が早かったのが幸いし、最初の物資は各県の窓口を通じて各市町村に分配された。しかし、その後すぐに被災地では、全国から寄せられた物資をさばき切れなくなった。窓口が混乱状態に陥ってしまったのだ。2回目以降に送った物資が被災者に届いていないという情報も伝わってきた。被災者の手元に物資を届けるにはどのようにしたらいいのか。送付先を替える必要があった。そのような状況の中、一人の担当者が各市町村の担当部署のリストを入手してきた。自治体と直接やり取りができるようになり、よりきめ細かな対応が可能になった。
支援活動を行う中で、時間が経過するにつれ難しい問題も出てきた。会社としてどこまでやればいいのかという見極め。物資を送ることが、本当に被災地の人々の役に立っているかもよく分からなかった。また送ることによって満足するのは自分だけではないのかという疑問も出てきた。本当に正しいのかという自問自答が続いた。しかし、その答えは後に分かることになる。当初、防寒具から始まった支援物資。それは、季節の移ろいとともにニーズに合わせ、靴など他の物品へと変わっていった。被災地にサッカーを取り戻す活動が行われたのは、震災から4、5カ月が経った頃だった。当時のFIFAゼップ・ブラッター会長と日本サッカー協会(JFA)の小倉純二会長が働きかけ、アディダスの協力で1万5000足のサッカー用スパイクが寄付された。数年前、会社宛てに一通の礼状が届いた。震災時に中学生だった青年からだった。文面にはこう書かれていた。津波で部室も流され、サッカー用具をすべて失った。そんな時にスパイクを寄付してもらい、それを履いてサッカーが続けられたという内容だった。青年は関東の大学に進学したという。そして、最後に「大学でもサッカーを続けます」と記されていた。支援当時、何かの見返りを期待したわけではなかった。ただ、自分たちの行った活動が、ある人の人生の選択に良い意味でつながったと思うと、たまらなくうれしかった。
「先日の緊急事態宣言の中、うちの子どもたちも家に閉じこもって何カ月も遊べなかった。それを思うと、当時の被災地の子どもたちはもっと大変だったと思うんですよね。その状況でスパイクが届いて、サッカーができたときの子どもたちは、本当にうれしかっただろうなと思います」(池田)。「当時、現地に入ることはなかなかできませんでした。それでもニュースなどで避難所の映像が映ったときに、送った商品を身に付けている人を見ると、役に立っているのかとうれしかった。」(北川)。「普通にあった日常というのは突然変わってしまうことがあります。あの時、我々が送った物を受け取ってもらって、被災地の方の日常に少しでも携われたのなら、それだけでやって良かったと思います」(中川)。
現在でもアディダス・ジャパンは、東日本大震災の被災地とのつながりを大切にしている。陸前高田市では、例年、マラソン大会の協賛も行っている。その支援活動に対し、これまで数多くの感謝の手紙が届いた。ただ、口にすることはないだけで、感謝の思いを抱く東北の人はさらに多いはずだ。人は苦しい時に手を差し伸べてくれた人への恩を、簡単に忘れることはない。(文中敬称略)
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