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「東日本大震災の記憶を風化させない」東日本大震災から10年~リレーコラム 第17回~
2021年04月15日
東日本大震災から、10年の時が経ちました。国内外から多くのサポートが寄せられ復旧が進んだ一方で、復興にはまだ長い道のりが残されています。それぞれの立場で、東日本大震災とこの10年間にどう心を寄せ、歩んできたか。ここではサッカー関係者のエッセイやコラムをお届けします。
最終回は、公益財団法人日本サッカー協会会長の田嶋幸三です。
「十年一昔」といいますが、ここまで書きつながれてきたコラムを読みながら、誰もがそれぞれの立場で、さまざまな思いを抱えながら、東日本大震災とそれからの10年に向き合ってこられたこと、そして最も大事な「復興」に関して、まだまだ道半ばであることをあらためて感じました。これからも日本サッカー協会は多くのサッカーファミリーと呼べる仲間とともに復興のお手伝いができるように、微力ながら尽力していく所存です。
一つの区切りを迎えたという意味では、JFAアカデミー福島の再出発もその一つでしょう。2019年春に全面リニューアルオープンしたJヴィレッジ、そして今年3月にJヴィレッジに隣接する場所で再開院したJFAメディカルセンター、続いて4月に新入生を迎えたJFAアカデミー福島の三つがそろうことで、真の復興にまた一歩近づけたという感慨を私は持っています。2006年4月に福島県双葉郡広野町のJヴィレッジに開校したJFAアカデミー福島は、選手としての育成と人間教育を中高一貫のロジング(完全寄宿生活)で行うというJFA独自のシステムでした。しかし福島県と双葉郡の富岡町、広野町、楢葉町の協力を得てスタートした同アカデミーは、2011年3月11日の東日本大震災の被災を機に移転を余儀なくされ、同年4月から男子は静岡県御殿場市の時之栖で、女子は裾野市の帝人の保養施設をお借りして活動を続けることになりました。それから10年。今年4月から男子のアカデミーだけ先行してJヴィレッジに戻ることができました。女子も2024年度に静岡から戻ることが決まっており、ここから新たな旅立ちが始まると、身が引き締まる思いでいます。
今でこそ、JFAアカデミーは熊本宇城、大阪の堺、愛媛の今治にもありますが、出発点は福島にあります。そういう意味で今回の帰還は故郷に戻る感じですが、そのことを喜ぶ前に、厚く御礼を申し上げたいのはこの10年、アカデミーの選手たちを受け入れてくださった時之栖であり、移転に尽力してくださった福島県や静岡県の関係者の皆さんです。第10回のこの欄で時之栖の庄司政史社長が語られている通り、3月11日に被災したアカデミーの生徒たちが、4月6日には学校も宿舎も確保されて新天地で入学式を迎えられたのは奇跡のような出来事でした。大震災に襲われたのは卒業と入学の端境期で、新学期に関するすべての手続きは終了した後でした。そんなタイミングでアカデミーの生徒たちの移転先を探し求めたわけです。大事なお子さんをお預かりした以上は「アカデミーは解散します。後は個別に何とかしてください」という無責任なことはできません。しかし、100人を超える生徒が寝泊まりして練習場所も確保するとなると、おいそれと引っ越し先は見つかりません。石川県や鹿児島県のサッカー関係者から「うちに来たら」という温かいお誘いのお手紙をいただいたときは涙が出そうになりました。それだけに落ち着き先が時之栖になり、静岡県内に転校先も決まったときは本当に安堵しました。それだけのことをしてくれた静岡県や御殿場市の関係者のご厚情を思うと、時之栖を離れることに胸は痛みます。が、もともと帰還が前提の移転でしたし、福島の復興とJヴィレッジの活性化には必要なことだと決断しました。
福島に帰還したアカデミーは4月6日の入校式に16期生として、19人の中学1年生の男子を迎え入れました。帰還を機に男子は中学生年代だけを育成することになったのです(2024年度に戻ってくる女子はこれまで通り、中高6年間の一貫指導を行います)。もともと男子と女子ではサッカーの育成環境に違いがあり、技術委員会で議論を重ねた末にこのような結論に達したのです。中学で卒業する男子は我々が責任を持って、Jクラブや町のクラブのユースチーム、高校のサッカー部などに送り出す心積もりです。お預かりする年数は変わっても、ロジングによって人間教育に力を入れる方針に変わりはありません。アカデミーが目指すゴールはプロのサッカー選手を育てることだけではありません。アカデミーで磨いたコミュニケーション能力を実人生の役に立て、世界のどこに行っても胸を張って歩ける人間、常にポジティブで裏表なく自分の意見を主張でき、人種や民族や宗教や性別や肌の色によって人を差別しないパーソナリティーの持ち主になってもらうことです。それは開校当初からのアカデミーのフィロソフィーといえるものですが、コロナ禍の今を生きていく上で、さらに重要性が増しているように感じています。
JFAアカデミーは、フランス代表を世界チャンピオンに押し上げたクレールフォンテーヌの国立サッカー養成所を手本に始まりました。そこで校長を務められたクロード・デュソーさんを招くと、アカデミーの活性化に大いに貢献してくれました。デュソーさんが説いたリーグ戦の大切さなどは今、ユース年代の高円宮杯 JFA U-18 サッカープレミアリーグや同プリンスリーグにも生かされています。指導に関しては不易流行の不易の部分を徹底して強調される人でした。その哲学はある程度、日本に浸透したと思いますが、さらに継続して流れを大河にしていきたいと思っています。アカデミーの原点といえる福島に戻ったこのタイミングで初心に立ち返り、アカデミーのフィロソフィーをもっと世に発信していこうと思います。
3月20日にはJヴィレッジに隣接するJFAメディカルセンターも10年ぶりに再開しました。こちらの再起動には福島県立医科大学のサポートをいただいています。同施設は2009年8月、ナショナルトレセンに医療部門がないのは不十分だと思い、Jヴィレッジの医科学部門を担う形でオープンさせました。とはいえ、診療はアスリートに限らず、整形外科やリハビリテーション科のクリニックに加え、MRIなど最新の医療態勢を地元住民にも提供してきました。再開後もそこは変わりません。メディカルセンターの再開は、避難生活をされていた地域の人たちが地元に戻らないと難しいことでした。JFAの直轄事業として採算を度外視した経営はできません。2009年に開院したときは最初の3年で黒字にしようと思い、実際その通りになりかけたら、東日本大震災に襲われました。今回も地域の医療にも貢献しながら、なるべく早く黒字化したいと思っています。特に千葉・幕張に開設した「高円宮記念JFA夢フィールド」とは緊密に連携しながら、育成年代の発育や女性アスリート、シニア世代の健康やけがの予防に役立つ研究をしていくつもりです。
1997年に完成したJヴィレッジを最初に訪れたときの感動は今も忘れることがありません。宿舎から一歩外に出ると、目の前には青々とした芝生のピッチが広がり、練習が終わるとさっと引き上げてシャワーや風呂に入って、そのまま食事ができる。美しい自然に囲まれた環境は、おのずと練習に集中できる。ドイツに留学して、トレーニング環境の彼我の差にため息ばかりついていた私は「こういう施設がついに日本にもできたんだ」と快哉(かいさい)を叫んだものでした。Jヴィレッジができるまで、日本のサッカー界と福島にそれほど深い結びつきがあったわけではありません。しかし、ドイツのスポーツシューレを思わせる施設ができてからは日本サッカーのナショナルトレセンとして機能し、指導者やレフェリー養成の中心地となって、多くの人材が育っていきました。フィリップ・トルシエ監督やジーコ監督のように日本代表の合宿地として使ってくれた監督もいます。振り返ると、Jヴィレッジがオープンした1997年から2011年までは日本のサッカーが一番伸びた時期でした。その間に1998年のFIFAワールドカップ初出場、2002年と2010年のFIFAワールドカップベスト16もあります。それらの成果を下から支えたという意味で、やはり大切な場所だといえるでしょう。
Jヴィレッジができた後、静岡・清水のJ-STEP、大阪のJ-GREEN堺、千葉に高円宮記念JFA夢フィールドといった施設ができました。最も新しい夢フィールドは、あくまでも代表と名のつくエリートチームの活動拠点ですが、JヴィレッジやJ-STEP、J-GREEN堺は、広くあまねくサッカーを愛する人たちのために使われるもの。また質と量の点において、Jヴィレッジのクオリティーを凌駕(りょうが)する施設はまだ日本にありません。今後もいろいろな活用がなされることでしょう。隣接する富岡町には、富岡一中、富岡高校という中高一貫強化で全国に名をとどろかせたバドミントン部がありました。世界チャンピオンの桃田賢斗選手もここの選手でした。そのバドミントン部も東日本大震災の影響を受けましたが、2015年4月に富岡高を引き継ぐ形で広野町に「ふたば未来学園」が開校し、2019年4月には中学校も併設されて、再び強豪校の道を歩き出しました。いずれ、ここからも世界チャンピオンが出ることでしょう。そうやって、いろいろな競技と一緒になって、ポジティブな情報を第二の故郷といえるJヴィレッジ、そして福島からどんどん発信していきたい。それは東日本大震災の記憶を風化させることなく、被災地の復興の手助けにもなると考えています。
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