勝てば2位に浮上、敗れれば窮地に追い込まれる。1997年10月26日に国立競技場で行われたUAE代表との直接対決は、日本代表にとってまさに運命の一戦だった。
開始3分、日本は呂比須ワグナー選手のゴールで幸先よく先制。しかし前半のうちに追いつかれると、後半のチャンスをモノにできず、1-1で引き分けた。UAEとの勝点差を1で保ったものの、3位から浮上できず。一方でこの試合の結果、韓国の首位が決定。日本がワールドカップ出場を果たすには、グループで2位となり、プレーオフを勝ちぬくしか選択肢はなくなった。
後のなくなった日本は、続く韓国代表とのアウェイマッチを2-0で勝利。ウズベキスタン代表と引き分けたUAEをかわして2位に浮上すると、最終節でカザフスタン代表を5-1と撃破。3勝4分1敗の成績で韓国に次いで2位となった。
グループ2位同士で争われるアジア第3代表決定戦はイラン代表に決定。11月26日にマレーシアのジョホールバルで行われることとなった。
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試合は両者の意地がぶつかり合う、まさに激戦となった。39分、中山雅史選手のゴールで日本が先制も、後半立ち上がりにホダッド・アジジ選手に同点ゴールを奪われてしまう。消沈した日本は59分に、相手のエース、アリ・ダエイ選手に逆転ゴールを許し1-2。ワールドカップ出場が遠のいたかと思われた。
しかし、ここから見事な反発力を見せる。カギを握ったのは岡田武史監督の積極采配だ。63分に中山選手と三浦知良選手に代えて、城彰二と呂比須選手を投入。すると76分、中田英寿選手のクロスを城選手が頭で合わせて同点に。2-2で迎えた延長戦の頭からは、スピードに優れる岡野雅行選手がピッチに立った。
延長戦ではその岡野選手が何度もチャンスを迎えたが、なかなかゴールは生まれない。当時の延長戦はゴールデンゴール方式が採用されており、先に1点取れば勝利できる状況だった。しかし、その1点が遠かった。このままPK戦に突入するかと思われた118分、ついにその瞬間が訪れた。ドリブルで持ち上がった中田選手が左足でミドルシュート、GKがはじいたボールに詰めたのは、岡野選手だった。
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青のユニホームが歓喜に沸く。あまりにも劇的なフィナーレ。あのドーハの悲劇から4年、日本の悲願はついに成就されたのだ。