南アフリカを目指す戦いは、2008年の2月6日に幕を開けた。
2006年より日本代表を率いていたイビチャ・オシム監督が2007年11月に体調を崩したことにより監督を退任。急遽、指揮を執ることになった岡田武史監督はほとんど準備期間のないままに、アジア3次予選を迎えることとなった。
埼玉スタジアム2002で行われた初戦のタイ代表戦こそ4-1で勝利を収めたものの、直後に行われた韓国代表、中国代表、朝鮮民主主義人民共和国代表と4か国によって争われる東アジア選手権では1勝2分で2位に終わった。そして嫌な流れで迎えた3次予選第2戦のバーレーン代表戦は、0-1でよもやの敗戦を喫することとなる。
その後もオマーン代表との連戦を1勝1分と苦戦したものの勝ち点を積み上げ、第5戦のタイ代表戦に3-0と快勝を収めると、第6戦のバーレーン代表とのリベンジマッチを、終了間際の内田篤人選手の劇的ゴールでモノにして、最終的に4勝1分1敗とグループ首位通過で最終予選進出を決めた。
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最終予選は2006年のドイツ・ワールドカップで惨敗を喫した難敵・オーストラリア代表、3次予選で苦戦を強いられたバーレーン代表ほか、カタール代表、ウズベキスタン代表と同居する厳しいグループに組みこまれた。
9月6日の初戦はバーレーン代表とのアウェイゲーム。3月の対戦で敗れた地で、この年3度目となる宿敵との一戦は、いわば両者の立場をはっきりとさせる決戦でもあった。
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開始18分、中村俊輔選手の鮮やかな直接FKで先制した日本代表は、前半終了間際にも遠藤保仁選手がPKで追加点。後半は一進一退の攻防が続く中、85分、中村憲剛選手が閉塞感を打ち破る強烈なミドルシュートを突き刺して、3-0とバーレーン代表を圧倒した。
ところが試合終盤によもやの展開が待ち受けていた。87分、左サイドを崩されて1点を返されると、その2分後、田中マルクス闘莉王選手のバックパスがそのまま日本のゴールに転がって、オウンゴールを献上。土壇場で1点差に詰め寄られた日本代表は、楽勝ムードから一転、ともすれば勝点を失いかねない状況にまで追い込まれてしまった。
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その後の相手の猛攻をしのぎ、なんとか3-2で逃げ切りを果たした日本代表だったが、ワールドカップへのいばらの道を予感させる苦難のスタートとなった。