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「皇后杯は一番に目標にしていた大会」本田美登里監督(AC長野パルセイロ・レディース)第39回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会
2017年10月23日
女子サッカー日本一を決する第39回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会が、10月28日(土)に開幕します。今回は、選手として日本女子サッカーの黎明期を支え、現在も指導者として活躍する本田美登里監督に、前編・後編にわたって本大会の思い出や指導者として心掛けなどを語ってもらいました。
――1980年3月、本田監督は中学3年のときに清水第八スポーツクラブの一員として第1回全日本女子サッカー選手権大会(現皇后杯全日本女子サッカー選手権大会)に出場しました。
本田監督 当時の清水第八には、私の他に一学年下の半田悦子さん(元日本女子代表)、木岡二葉さん(同)ら中学生と社会人がいました。チームはボールを止める、蹴るという正確性がかなりしっかりして、どの試合でも圧倒的に攻めていた記憶があります。当時は女子サッカーをしている人が珍しい時代で、全国大会があるということも知りませんでした。
――第2回大会から4連覇を達成。さらに、大学1年の途中で移籍した読売日本SC女子ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)では第9、10回大会で2連覇。選手たちにとってこの大会はどんな位置付けだったのでしょうか。
本田監督 日本女子リーグがスタートしたのは1989年です。それまでは、日本一を決める女子の大会は全日本選手権だけだったんです。夏に静岡県清水市で全国の強豪を集めたカップ戦があり、秋には愛知県刈谷市で全国選抜大会がありましたが、どちらも日本サッカー協会(JFA)主催ではない。だから、全日本選手権は選手が一年で一番の目標にしている最高の大会でした。
――1991年に読売SC・ベレーザの選手兼コーチに就任し、指導者としての歩みをスタート。その後はJFA女子委員会強化部や女子リーグの事務局を経て、2001年に岡山湯郷Belleの監督に就任しました。
本田監督 「指導者になりたい」という気持ちはありませんでした。というのも、自分よりも上の世代に女性指導者が一人もいなかったので、イメージが沸かなかったんです。当時は現役引退イコール、サッカーから離れるというのが一般的な考え方でした。たまたま「人手が足りないので仕事として引き受けてほしい」と言われ、生活のために始めたというのが本当のところです。湯郷ベルで指導者の道に戻ったのは、宮間あやとの出会いが大きかったですね。1994年に、JFAの仕事であるサッカーイベントに参加して、小学5年の女の子たちと一緒にサッカーをしました。彼女たちと一緒にボールを蹴るのが本当に楽しかった。その中の一人が宮間でした。私とサッカーをすることがそんなに楽しいと感じてくれるなら、指導者として携わろうと思いました。
第39回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会
開催期間:2017/10/28(土)~2017/12/24(日)
1回戦 10月28日(土)、29日(日)
2回戦 11月3日(金・祝)、4日(土)、5日(日)
3回戦 11月11日(土)、12日(日)
準々決勝 11月18日(土)、19日(日)
準決勝 12月21日(木)
決勝 12月24日(日)