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釜本邦茂さんお別れの会を開催、約500人が世界屈指のストライカーを偲ぶ
2025年11月26日

日本サッカー協会(JFA)は2025年11月22日、8月10日に81歳で死去した釜本邦茂さんのお別れの会を東京都内のホテルで開催しました。JFA名誉総裁の高円宮妃殿下のご臨席の下、サッカー界、野球界、政界、財界などから約500人(メディア含む)が参列。“不世出のストライカー”を偲びました。
黙とうを捧げた後、懐かしい映像とともに釜本さんの足跡を紹介。その後、それぞれ選手時代、監督時代を共に過ごした4人の盟友が追悼の辞を述べました。1964年の東京オリンピック、1968年メキシコオリンピックで共に戦った元日本代表GKの横山謙三さんは、「君がよく言っていた『日本がワールドカップで優勝するためには自分を超える選手が必要だ』と、そんな選手が現れることを願ってお別れします」と追悼しました。
最後に、お別れの会の主催者である宮本恒靖JFA会長、釜本さんの長男・達生さんが参列者への謝辞を述べました。宮本会長は「今から半世紀以上も前に世界と伍して戦い、日本サッカーの存在を世界に示してくれた釜本さん。私たちはそのお名前と輝かしいご功績を胸に刻み、これからもサッカーの発展に全力を尽くしてまいります」と約束。その後、参列者による献花が行われました。
釜本さんは、1964年から1977年まで日本代表としてプレーし、2度のオリンピックに出場。メキシコオリンピックではチームを銅メダルに導く7得点の活躍で得点王に輝きました。男子の日本代表歴代最多記録となる国際Aマッチ通算75ゴール、JSLでも歴代最多の202ゴールをマークして7度の得点王を獲得するなど、数々の金字塔を打ち立てました。
現役時代から釜本サッカー教室を全国で開催して多くの子どもたちを指導。1984年に現役を引退してからは松下電器産業サッカー部(後のガンバ大阪)の監督を務め、1993年のJリーグ開幕時はガンバ大阪を指揮しました。その後はJFAの副会長などを務め、2005年の第1回日本サッカー殿堂に掲額されました。
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