日本サッカー殿堂
掲額者
二宮 洋一NINOMIYA Hirokazu
特別選考 2006年第2回日本サッカー殿堂入り
- 1917年11月22日 兵庫県生まれ
慶応義塾大学卒業
神戸一中(現県立神戸高校)、慶応義塾大学でプレーし、国内屈指のセンターフォワードとして活躍。神戸一中では、1934年に全国中等学校招待大会を含む4大会で優勝。慶大では、1937年からの関東大学リーグ4連覇をはじめ多くのタイトルを獲得し、慶応ソッカー部の黄金期を担う。また、戦前戦後を通じ、慶応大学、慶応BRBの主軸として全日本選手権7回優勝という偉業を成した。
1951年、戦後初の国際大会である第1回アジア競技大会(ニューデリー)では選手兼監督として出場し、銅メダルを獲得。1954年には、ワールドカップスイス大会アジア予選、第2回アジア競技大会(マニラ)出場。その後は、オリンピックメルボルン大会に向けた日本代表チームのコーチングスタッフをつとめた。選手としての活躍だけでなく、代表監督としても卓越した指導力で日本サッカーの競技力向上につとめた功績は極めて大きい。Aマッチ出場5試合、1得点。
また、慶大では、1952年に監督として関東大学リーグ、東西学生1位対抗戦ともに優勝、1969年には総監督として全国大学選手権優勝を果たした。
JFA理事、監事、関東協会理事、関西協会理事、全国サッカークラブユース連合(U-18)会長、日本クラブジュニアユースサッカー連盟(U-15)会長、日本サッカー後援会理事長を歴任。
2000年没