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キリンカップミュージアム スペシャルインタビュー Vol.3 井原正巳 代表同士の対戦で深めた自信 ~キリンカップ優勝からワールドカップ出場へ~
2016年06月01日
-キリンカップにはどんな思い出がありますか?
井原 正巳(以下、井原)覚えているのは自分が選手として出た時からで、88年にジーコのいたフラメンゴとの対戦です。1-3で負けて、次の中国戦(0-3)では相手にオーバーヘッドされて耳を切ったので、痛い思い出です。代表戦国内デビューの大会でした。
-相当気合いが入って臨んでいたのでは?
井原 気合いよりも自分のことで精いっぱいで、「ジーコのいるフラメンゴだ」と、完全に名前負けしていました。世界のチームを相手にどこまでやれるかという楽しみもありましたが、相手は無茶苦茶うまくて、こちらは遊ばれている感じでした。当時はテレビ放送も三菱ダイヤモンドサッカーぐらいで他国の情報が少なかったんですよね。第3戦レバークーゼンのチッタさんとは89年の代表の南米遠征ブラジル戦でも対戦して、僕との競り合いでケガをして救急車で運ばれたんです。後に浦和で監督と選手として会った時に言ったら「おまえか!」と言われました(笑)。でもチャ・ブンクンさんのことは知らなかった(笑)。チャさんとも98年FIFAワールドカップ予選で韓国監督として対戦して、ジーコさんは日本代表の監督になった。すごい繋がりです。
-それでは88年が最も印象深かった大会でしょうか?
井原 優勝した大会も印象深いです。91年に横山(兼三)監督の時にバスコ・ダ・ガマとトットナムでリネカーが来て、国内で初めてタイトルを獲ったので本当に嬉しかった。その時から代表チームに成果プレミアムを出そうとなりました。Jリーグ発足へプロ化の流れがあった頃で、優勝して勝たなければ強くならないと感じましたし、勝つことで評価してもらえることもプロとして大事な要素だと感じました。
他国の代表となかなか対戦できない頃だったので、92年に代表チーム同士の対戦になってアルゼンチンとウェールズが来た時には「アルゼンチンとやれるの?!」と、喜びと期待感がありましたね。アルゼンチンにはバティストュータやカニーヒャがいて、負けはしましたが割と良い内容の試合をしたので、「自信というのは、こういうところでついていくものなんだ」と感じました。それを境に代表同士の試合が増えて、オフト・ジャパンも力をつけていきました。
94年のフランスは日本のように94年アメリカワールドカップ出場を最後の最後に逃して、98年フランス大会へ強化が始まったところでした。カントナ、パパン、デサイー、テュラム、カランブー、リザラズ、デシャン…、すごく豪華な顔ぶれだった。完敗でしたが(苦笑)。
-他に印象に残っている対戦はありますか?
井原 96年のユーゴスラビアもストイコビッチやサビチェビッチがいるそうそうたるメンバーでした。そこで勝って、博多の森球技場に乗り込んでメキシコに3-2で勝って優勝したんです。あの試合は痺れましたね。興奮しました。
メキシコも良いメンバーが揃っていて、すごく強くて結構やられましたが、自分たちの時間帯を結構作れたという手応えもありましたし、その前にユーゴに勝ったという自信が非常に大きかった。この時の優勝はすごく自信になりました。フランスワールドカップへ向けた強化でもあったので、とても印象深いです。
-来日チームのクオリティが高かったことは大きかったと?
井原 アジア以外の国と戦うのは、95年にインターコンチネンタルカップに出たのが初めてぐらいで、キリンカップがなければ機会がなかったですからね。毎年どこが来るのか、楽しみでしたし、98年ワールドカップの前もキリンカップが国内最後の強化の場でした。
DFとして世界トップレベルの選手とのマッチアップは勉強になりました。相手からボールを奪うだけでも自信になりますし、サビチェビッチにドリブルをさせなかったというだけでも自分には大きくて、肥やしになりました。最初は名前負けでしたけど、逆に燃えるようになりました。
-日本サッカーの過渡期でしたが、毎年の大会でどんな変化を感じていましたか?
井原 お客さんの反応ですね。キリンカップが毎年どんどん盛り上がっていきました。初優勝の時にもかなり入りましたが、国立競技場でのアルゼンチン戦では6万人になりました。なかなかないことで、その雰囲気の中で戦えるだけでも幸せな、格別な思いがありますし、代表なので奮い立たせられる思いを感じられたのは大きい。日本のためにという思いが強くなって、代表に対する帰属意識がより強くなりましたね。
-タイトルがかかる大会は、やはり違いますか?
井原 タイトルがかかればこだわりが出てきますし、賞金もかかってきます。試合の中身も変わって、より公式戦のようになるので、良いシミュレーションになります。それに代表チーム同士ではプライドもあって、「下手な戦いはできない」という面がありますね。
-代表キャプテンとしての初試合は覚えていますか?
井原 横山さんの時のドイツ遠征で、学生だったのに「お前、やれ」と言われて、「僕じゃないでしょう?!」と思いながらやりました(笑)。「そういう自覚を持って戦え」というサインだろうと思いながら戦ったのを覚えています。
日本代表のキャプテンマークを巻くと、それだけで身が引き締まります。「代表チームが勝たなければ」という思いがより強くなりますし、チームを任されている責任の大きさをヒシヒシと感じます。でも、93年の大会で務めた時は、柱谷さんが体調不良でいなかったので、威厳のない大人しい仮のキャプテンだったと思います(笑)。あれだけ個性豊かな選手たちをまとめるには、彼ぐらいの迫力がないと無理じゃないかと思っていましたから。
-96年からはキャプテンに定着しました。
井原 98年ワールドカップへのチームづくりの頃で、かなり経験を積ませてもらっていたので「自分が引っ張っていかなければ」という自覚もありました。任命に応えようという思いと、ドーハを経験してフランスには絶対に行かなければ、という思いでした。
-監督によって、キャプテンとして求められるものは違いましたか?
井原 フランスワールドカップの時に監督の岡田(武史)さんから、「お前はキャプテンだから、ゲームの時に俺の声が聞こえないときは」という話は最後にありましたが、それ以外は他の監督も多くの要求はありませんでした。自分なりのキャプテンシーを模索して、過去の例を参考にしながら自分流に変えていきました。
代表チームには良いときも悪い時もあるので、ワールドカップに出た時にキャプテンをやらせてもらったというのは、本当にありがたい巡り合わせで、素晴らしい経験ができました。自分の財産として指導者としても活かされています。
-それはどんな点でしょう?
井原 厳しい状況の中でも乗り切って行かなければいけない時に何がチームにとって大事なのか。チームが一つにまとまるために何が必要か、すごく考えました。選手にキャプテンとして心がけてほしいことなど、今でも活きていると思います。
でも、僕の時は裏のキャプテンがたくさんいて(笑)、みんながリーダーシップを発揮してくれていました。ワールドカップに出るという一つの目標に向かってみんなが集中していたので、それが一番の強みだったと思います。
-ドーハを経てJリーグ人気も高まり、02年自国開催も控えて、「フランス大会出場は外せない」という雰囲気は相当なプレッシャーだったのでは?
井原 よく務めることができましたね(笑)。でも必死だったので「絶対にみんなで行こう、行ける」という強い思いしかなかったです。その時のプレッシャーがあったから、今は何も怖いものはないくらい。でも当時の岡田監督や加茂(周)監督のプレッシャーはすごかったんだろうなと、今、自分が指導者になって感じます。
当時はすべての選手やチームスタッフ、応援してくれるサポーターやスポンサーの方々の思いが代表チームを強くしてくれていたと思います。
それに、ドーハがあったので、プレッシャーをパワーに変えることができたし、「最後まで何があるか分からない」という教訓を持ち続けて、最後まで諦めずに戦えました。簡単ではなかったですが、ドーハがあったからフランスに行けた。過去があって未来がある。すべては繋がっています。
-井原さんにとってキリンカップとは?
井原 日本国内で自分自身が成長できる、代表が成長できる、世界を感じることができる最大の大会だと思います。
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