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笑顔の力 ~いつも心にリスペクト Vol.42~
2016年10月29日
日本のレフェリーで最初に「笑顔」の重要性を強調したのは、上川徹さんだったと思います。
上川さんは日本サッカーリーグのフジタ工業で大型ストライカーとして活躍しましたが、1992年、28歳のときにひざの故障が原因で現役を引退、以後レフェリーとして活動しました。すぐに頭角をあらわして94年には1級審判員になり、96年にJリーグにデビュー、98年には国際審判員と、トップレフェリーへの道を文字どおり一気に駆け上がりました。
その最大の特徴は、選手時代に培ったフィジカル(スピード、運動量)、そしてゲームの読みでした。同時に、180センチという長身で、選手たちの間に入っても堂々として見えることも、有利だったに違いありません。
その見かけどおり、若いころの上川さんは「強い」タイプとして知られていました。選手が不満そうな態度を見せると、非常に毅然とした態度で臨んでいました。1990年代のJリーグではレフェリーへの異議は当たり前で、ビッグネームの外国籍選手が日本人レフェリーを見下すようなところもありましたから、対抗手段としてレフェリーが「強く」なければならないという背景もありました。
しかし国際舞台で経験を積むようになってから、上川さんは試合中に笑顔を見せるようになりました。それに伴って「強さ」より「柔軟さ」が目立つようになり、ゲームはスムーズに進められるようになっていきました。
そして、2002年のFIFAワールドカップで主審を務めたのに続き、2006年にドイツで開催されたワールドカップでも主審を務め、3位決定戦を含む3試合を担当しました。日本のレフェリーとしては、2014年ブラジル大会で開幕戦の主審を務めた西村雄一さんと並ぶ快挙と言えます。
ファウルと判定されて興奮している選手がいると、上川さんは笑顔を見せながら近寄り、二言三言話します。すると選手の肩からすっと力が抜け、上川さんと握手してプレーに戻っていくのです。こうしたシーンを見かけるたびに、言葉だけでなく笑顔が選手に大きな影響を与えているのではないかと私は考えていました。
4年ほど前に、NHKで『ヒューマン なぜ人間になれたのか』という番組が4回にわたって放送され、その第1回で驚くべきものを見ました。脳卒中で全盲になったスイス人男性。目の機能自体は健全でしたが、目からはいる情報を処理する脳の機能が損傷を受け、「真っ暗」な状態になっていました。しかしその男性に怒った顔や笑顔の写真を見せると、偶然とは思えない率でその印象を当てたのです。
その番組によると、人間は、他人の表情の情報の一部を通常視覚を処理するのと違う脳の部位に送り、表情の意味するものを感じ取っているというのです。そしてその能力は生まれつきのもので、人間は赤ん坊のころから自然に人の顔、なかでも目に注目する習性を持っているといいます。人は無意識のうちに他人の顔の表情に注目し、自分に対する好悪の感情を読み取っているのです。
「世界中の誰にでも、笑顔は通じるのです」と、番組に出演したスイス人医師は話しました。以前の日本では、「問答無用」といった態度を取るレフェリーもいました。「オレがルールだ」とでも言いたげに選手をにらみ、これ以上何か言ったらカードを出すぞとポケットに手をかけるレフェリーも少なくありませんでした。
しかし今日、少なくともJリーグなど日本のトップクラスの試合では、そうしたレフェリーはまったく見かけません。どのレフェリーも選手やチーム役員とのコミュニケーションを大切にし、興奮した選手をしずめ、スムーズに試合を進めようと努力しています。そして、みんなが笑顔を見せるようになっています。
笑顔は本当に不思議な力をもっています。相手に対して敵意がないことを示し相手の緊張を解くとともに、相手からも笑顔を引き出します。笑顔は「リスペクト」のサインです。「リスペクト」には「リスペクト」が返ってくるのです。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
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