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フェアプレーを説いたクラマーさん ~いつも心にリスペクト Vol.30~
2015年11月03日
「日本サッカーの父」とも呼ぶべきデットマール・クラマーさんが亡くなりました。
この号にも追悼文が寄せられていることでしょう。ここで私がクラマーさんの事績を挙げる必要はないと思います。
クラマーさんは1960年当時に日本のサッカーに欠けていた基礎技術の大切さを説き、自ら手本を見せ、繰り返し練習をさせて鍛え上げたことで知られています。そしてまた、練習や試合に際し、印象的な言葉でご自身のサッカー哲学を語り、その言葉のひとつひとつが日本サッカーの重要なバックボーンになってきました。
しかし意外に語られていないことがあります。日本のサッカーで最初に「フェアプレー」を説いたのがクラマーさんだったということです。
クラマーさんは「良い試合(チーム、選手)の6要素」というものを分かりやすい図にして示しました。この要素については、当時の日本代表コーチだった岡野俊一郎さんがサッカー専門誌などでたびたび解説しています。
クラマーさんは「勝利への意志」と「技能」を良い試合の2つの柱として立て、「闘志」「コンディション」、そして「運」の3つを「勝利への意志」の3要素として挙げました。そして「技能」に含まれる3要素には、「技術」、「戦術」とともに、「フェアプレー」が挙げられているのです。クラマーさんは、この「技能3要素」がそろわないと、「美しい試合」にはならないと強調しました。
60年代に日本のサッカーを大きく飛躍させたのは、徹底した基礎技術の練習と戦術面での成長でした。しかしクラマーさんの薫陶を受けた日本代表選手たちはフェアプレーの重要性をしっかりと理解して練習や試合、そして日々の生活に臨みました。メキシコオリンピックでの「ユネスコ・フェアプレー賞」と「FIFAフェアプレー賞」のダブル受賞は、けっして偶然のたまものではなかったのです。
技術指導と同じように、クラマーさんはフェアプレーのお手本を自ら見せてくれました。
64年の東京オリンピック。その初戦で、日本代表は南米の強豪であるアルゼンチンに3-2で逆転勝ちを収めました。試合前の予想からすれば、「奇跡」と呼んでいい勝利でした。
特別コーチとして日本のベンチにいたクラマーさんも、飛び出して選手たちと抱き合い、喜びを分かち合いました。
しかしその後で、クラマーさんはその喜びの輪から離れました。彼が向かったのは、負けたアルゼンチン代表チームのロッカールームでした。
「試合で勝った者には友だちが集まってくる。新しい友だちもできる。しかし本当に友人が必要なのは敗れたときであり、敗れた方だ。私は、敗れた者を訪れよう」
この言葉を残してアルゼンチン代表チームのロッカールームに向かったクラマーさんの後ろ姿を見た日本代表選手たちは、今日の表現で言えば「試合相手へのリスペクト」ということを思い起こしたのではないでしょうか。
私自身、一度だけですが、クラマーさんにインタビューをする機会がありました。私がしたのはわずか3つの質問でした。その質問だけで、クラマーさんは2時間(!)も話し続けました。尽きることのないサッカーへの情熱に驚いたのを覚えています。
予定の時間は過ぎましたが、私にはもうひとつ聞きたいことが残っていました。フェアプレーについてです。その話に水を向けると、クラマーさんはさらに1時間、熱弁を振るってくれました。
「私は、16歳のときから65年間もサッカーの指導をしてきました。勝ったことも負けたこともあります。しかし勝っても負けても、試合のことは案外忘れてしまうものです。忘れないもの、いつまでも残っているのは、フェアプレーによって積み重ねてきた友情です」
日本サッカーの「フェアプレーの父」でもあったクラマーさん。その魂が安らかでありますように。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
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