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[特集]審判員のマインド やればやるほど楽しくなっていく ~審判員の素顔~ 荒木 友輔国際審判員(主審)/プロフェッショナルレフェリー
2021年06月15日
サッカーの試合を成り立たせるために審判員はなくてはならない存在だ。審判員はより良い試合環境をつくるため、そして日本サッカーをより強く魅力的なものにするために、選手や指導者と同様、個々にレベルアップに励み、試合に臨んでいる。
今回は、富士ゼロックススーパーカップ2021で主審を務めるなど、国内大会から海外の試合に至るまでトップレベルの舞台を任されている荒木友輔審判員。プロの審判員になった経緯、主審として心掛けていることなどについて聞いた。
○オンライン取材日:2021年3月17日
※この記事は、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2021年4月号より転載しています。
レフェリーカレッジで自らの役割を学ぶ
――審判員になったきっかけを教えてください。
荒木 都立北多摩高校のサッカー部に所属しているときでした。当時は1年生から数人、審判員の資格を取得するものを選ぶことになっていて、仲間とじゃんけんをして選ばれたのが私でした。それが最初のきっかけです。4級審判資格を取得してから経験を積み、翌年には3級の資格を取りました。そのタイミングで、東京都サッカー協会が主催する、若い審判員を対象にした強化育成コースに誘われ、参加することになったんです。それから定期的に研修を受け、気がつけば審判員を続けていたという感じです。高校時代の先生も当時1級審判員を目指していて、こういう役割もあるのかと思っていました。当時はサッカーをプレーする方が好きで、好んで審判員を務めていたわけではありません。
――そこまで好きではなかった審判員を、法政大に進んでからも続けています。
荒木 審判員としてサッカー界に関わっていくことをなんとなく考えていたんです。そういう関わり方もいいかなと。とはいえ、審判員の仕事だけで食べていこうとは思っていませんでした。
――では、プロを意識したのは?
荒木 転機は大学3年生のときです。同世代の審判員が多くいる中で全日本サッカー少年大会(現、JFA全日本U-12サッカー選手権大会)の決勝で主審を任されたんです。それで「もう少し頑張ってみよう」と思いました。卒業後の進路としてトップレフェリーを養成するJFAレフェリーカレッジ(※)への入学を選択肢に入れ、準備を始めたのもこの頃です。
※世界に通じる審判員の指導・育成システムの確立や審判員の環境の向上を図るため、JFAが2003年に設立した。若手審判員を短期集中で指導し、将来のトップレフェリー候補者を養成すべく、04年から15年に開校した。
――大学卒業後、JFAレフェリーカレッジに入学しました。卒業までの2年間でどのようなことを学んだのですか。
荒木 審判員の専門知識もそうですが、サッカーの試合を成立させることの大切さを学びました。ピッチに立つ選手たちが気持ち良くプレーできるような笛を吹く。これが審判員の役割だと。校訓にはプレーヤーズファーストという文言があり、みんなと議論したのをよく覚えています。
選手に負けじと深夜2時に夜ラン
――レフェリーカレッジを修了したタイミングで1級の試験をパスし、日本フットボールリーグ(JFL)の主審になられました。1級審判員の生活はどのようなものでしたか。
荒木 私の場合、審判員、会社員と二足のわらじを履く生活でした。両立する上で気をつけたのは、仕事場に迷惑をかけないこと。普段から一生懸命に働いて、職場の方々から気持ち良く試合に送り出してもらえるように努力していました。
――試合の準備も不可欠だったかと思います。体のトレーニング、レフェリングの勉強などは、いつやっていたのですか。
荒木 仕事が終わって帰宅するのが23時過ぎだったため、深夜2時から毎日のようにランニングをしていました。週に2回は10キロメートルほど走りましたし、筋トレなども日課でした。体を鍛えている選手たちと一緒のピッチに立つわけですから、こちらも精進しなければなりません。レフェリーカレッジ時代にトレーニングの方法を教わっていたので、それを自己流でアレンジして鍛錬していました。
――2018年にはプロフェッショナルレフェリー(PR)契約を結んでいます。
荒木 将来的にはPRになりたいと思っていたので、迷いはありませんでした。国内の大きな舞台で主審を務めることはもちろん、国際舞台で笛を吹くのが私の夢でした。PRだからこそ経験できることもあると思いました。プロの道に気持ち良く進めたのは、周囲の応援があったからです。PRの話をいただいたときには、職場の人たちが快く送り出してくれました。私の目標を理解していただいたことには、本当に感謝しています。
――PR契約を結んだ後、生活のリズムはどのように変わりましたか。
荒木 深夜2時に走ることはなくなりました(笑)。体のケアに気を使い、空いた時間に試合の映像を見る機会を増やしました。自分が笛を吹いた試合だけではなく、これから担当するチームもチェックします。どのような戦い方をするのかを事前に把握しておきます。例えば、最終ラインから丁寧にパスをつないでいくチームであれば、プレーを止めない方がリズムは生まれやすくなるな、とか。笛を吹く上で、そのチームの特徴を知っておくことは大事です。
試合を見に来た人に笑顔で帰ってもらいたい
――メンタルを落ち着かせるために意識していることはありますか。
荒木 これといったルーティンは行っていませんが、ピッチでは選手の背景まで想像することを心掛けています。それぞれに大切な家族がいて、子どもがいる人もいます。そう思うと、選手が安全で、かつ一番いいパフォーマンスを発揮できるようにしたいと強く思うようになりました。レフェリーが感情的になってしまうと、元も子もないので。ピッチの上では冷静に、選手のために少しでもいい笛を吹きたいと思っています。
――なぜ、選手の背景まで想像するようになったのですか。
荒木 JFLの主審を務めて数年がたった頃、ある記事で選手のオンとオフの顔を特集する企画を読み、そこではっと気が付いたんです。試合中は力強いプレーを見せている選手も、家に帰るとお父さんなんだなって。恥ずかしながら1級審判員になったばかりの頃はどう審判をうまくやるかに重きを置いていた気がします。今思えば、いかに選手に気持ち良くプレーしてもらうかという最も大事なことまで深く考えられていなかったんです。その記事を読んで以来、徐々に意識が変わりました。
――嫌なことがあったとき、どう乗り越えますか。
荒木 試合でミスジャッジをしたときにミスをどのように修正するかということはもちろんですが、良かったところを見つけて、前向きな面も必ず持つようにしていました。同じことを繰り返さないことが大事ですし、ミスは成長の材料としてプラスに捉えています。
――Jリーグで笛を吹いていると、メディアから批判されることや観客からブーイングを受けることもあると思います。
荒木 そこから学ぶこともあるので、批判的な声を拒絶していません。観客からブーイングを浴びる原因は自分にあるんです。たとえ正しい判定を下していても、観客が納得するような笛を吹かないといけない。ピッチでプレーする選手、スタジアムの観客、テレビの視聴者、全ての人が納得できる判定をしたいんです。サッカーを見に来た人たちには笑顔で帰ってもらいたい。私が審判員として、大事にしているところです。
――審判員として最も充実感を得るのはどのようなときですか。
荒木 試合終了のホイッスルを吹いたときに、両チームの選手たちが力を出し切って、互いにプレーを称え合い、スタンドから大きな拍手が沸き起こるような試合になると、私も無事終わってホッとしたような気持ちになります。そういうときはピッチに最高のものがありますし、スタジアムも熱気にあふれています。審判団として、充実感とはいかないまでも、わずかながらの安堵感のようなものを感じます。
――現在、審判員を務めている人、審判員を目指している人に伝えたいことは?
荒木 審判員は、やればやるほど楽しくなっていきます。つらいことを経験するかもしれませんが、それを忘れるくらいの達成感、充実感を得ることができます。文句を言われて大変でしょうとか負のイメージばかりが取り沙汰されがちですが、正直、私は心躍ることの方が多い。自分が決めたことを最後までやり通すと、面白い世界が待っていると思います。
「全ての人が納得できる判定をしたい」と語る荒木審判員(写真左)。
試合の流れを読んだ正確なレフェリングで選手の良いプレーを引き出すことが、良い試合につながる
プロフィール
荒木友輔(あらき ゆうすけ)
1986年5月2日生まれ、東京都出身
小学生だった1993年にサッカーを始め、以降、中学校と高校でもプレーを続ける。都立北多摩高校サッカー部時代に4級(2002年)と3級審判員(2003年)資格を取得。2010年、JFAレフェリーカレッジに入学し、翌2011年に1級審判員となる。2017年に国際主審に登録され、2018年からはPRとして活動。J1では85試合、J2とJ3を合わせると100試合以上、主審を務めている(3月28日時点)。