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【ワールドカップを戦った男たち#第1回】森島寛晃 後編
2018年06月02日
日韓共催となった2002年のワールドカップ。森島寛晃さんは再び日の丸を背負って、世界と対峙することになりました。
当時のチームを率いたのはフランス人のフィリップ・トルシエ監督。U-20日本代表、シドニー五輪代表、そして日本代表と3つのカテゴリーを継続して指導してきた指揮官でした。そのため当時のチームは若い選手が多く、30歳になったばかりの森島さんは、チームで3番目の年長者に。サプライズ招集と言われた秋田豊選手と中山雅史選手がメンバー入りを果たしていなければ、チーム最年長となっていました。
それでも森島さんのチームの立ち位置は「いじられ役」だったと言います。「日本一腰の低いサッカー選手」と言われた森島さんは、若いチームにおいても謙虚な姿勢を崩さず、自分より年下の選手たちと一体感を持って、良い雰囲気作りができるムードメーカーとしての役割を担っていました。
一方でトルシエ監督は、このベテランプレーヤーに対して、リスペクトの姿勢を忘れていませんでした。
「トルシエ監督はよく怒っているイメージがあるじゃないですか。実際に選手たちからもそういうエピソードを聞きますし。でも、僕はほとんど怒られた記憶がないんです。若い選手たちには厳しく接していましたが、僕はもう30歳でしたからね。それなりにリスペクトしてくれていたんだと思います。」
トルシエ監督の指導で特徴的だったのは、フラット3という守備戦術です。3人のDFが一糸乱れぬ連係でラインを高く保ち、全体をコンパクトにする。この戦術を徹底することが、当時の日本代表の生命線でした。そのため練習でも守備に対する時間が多く割かれ、攻撃陣が置き去りにされることもあったそうです。
「フラット3の動きの確認ばかりするので、攻撃陣は雨の中で震えながらその練習を見ていたこともありましたよ(笑)」
もっとも森島さんは、フラット3があったからこそ、あのチームが成り立っていたと振り返ります。
「本当にあの3バックは高いクオリティを示していましたし、はまっている感じはありました。あの時の日本代表はフラット3があったからこそ、結果を手にすることができたんだと思います。」
地元開催のワールドカップで日本は快進撃を続けます。初戦のベルギー代表戦では先制されながらも逆転し、最終的に追いつかれたものの、ワールドカップで初めてとなる勝点を手に入れました。
続く第2戦では、稲本潤一選手の決勝ゴールで1-0とロシア代表を撃破。ついに念願のワールドカップ初勝利を手に入れたのです。
「やっぱり、ホームの独特の雰囲気が僕たちの背中を押してくれましたね。相手も相当プレッシャーを感じていたと思いますよ。初戦は追いつかれたけど勝点を取れましたし、なによりロシア戦で勝てたのが大きかった。僕はベルギー戦には出たけど、ロシア戦には出られませんでした。でも、勝った瞬間は今までに味わったことのない興奮を覚えましたし、貴重な瞬間でしたね。試合後には当時の首相だった小泉純一郎さんがロッカールームにまで来てくれて、一緒に抱き合って喜んだことも忘れられない出来事です。」
ワールドカップではピッチ上だけでなく、ピッチ外の部分でも、日常生活では到底味わうことのできない貴重な経験が数多くあったと、森島さんは振り返ります。なかでも忘れられないのが、移動の際に警察が先導してくれるポリスエスコートでした。
「海外ではよくあるんですけど、日本ではなかったんですよ。僕はあれが好きなんで(笑)、日本でもやってほしいなと思っていたら、ワールドカップの時にやってくれたんです。あれは嬉しかったですね。他の車が道を開けてくれて、そこを僕たちが通っていく。優越感というか、普通だったら経験できないことなので、貴重な経験をしたと思っています。逆に言えば、あれはワールドカップならではのこと。日本でもそこまでするくらいの、国を挙げての大事な戦いなんだと実感しましたね。」
選手だけでなく、関係者が、ファン・サポーターが、日本中が、自国で開催されるワールドカップに様々な形で力を注ぎ、感情を揺さぶられる。まさに国中の期待を一身に受けた日本代表は、その期待に応えるべく、第3戦のチュニジア代表戦で見事なパフォーマンスを示してみせたのです。
主役となったのは、森島さんでした。所属するセレッソ大阪の本拠地、長居スタジアムで行なわれた運命の一戦。0-0で迎えた後半からピッチに立った森島さんは、48分に右サイドからこぼれてきたボールを豪快に右足で振り抜き、先制ゴールをマーク。この1点で勢いに乗った日本は、さらに1点を追加して2-0と快勝を収め、目標としていたノックアウトステージ進出を実現したのでした。
「まず、長居で試合があること自体が嬉しかったですし、良いチャンスをもらえたなと。ただ、途中から出ることは予測していたんですが、後半の頭から使われるとは、正直思っていなくて。監督に『準備はできているか?』と聞かれたので、『はい、できています!』と答えたんですが、実はすね当てをベンチに置きっぱなしだったんですよ(笑)。でも、後半の始めから使ってくれたことで試合に入りやすかったですし、チャンスが来たらシュートを狙おうと考えていたことも良かった。初戦のベルギー戦ではいろいろ考えすぎて、気持ち的に空回りしてしまっていたので、その反省も活かせたと思います。とにかく思い切ってやったことが、あのゴールにつながったんだと思います。」
慣れ親しんだスタジアムで、歴史を変えるゴールを奪う。あまりにもできすぎなシナリオに、森島さんは我を忘れて喜びを爆発させました。
「興奮していたんでしょうね。僕はゴールを決めても、ベンチに向かって走るというのはほとんどないんですよ。でも、あの時は気付いたら走っていましたね。よくわからない雄たけびを上げながら(笑)。振り返れば、あの時以上の興奮はないかもしれません。」
小柄で謙虚な男が大仕事をやってのけ、日本は開催国の威厳を保ち、グループステージを首位で通過。しかし、その挑戦は志半ばで、終焉を迎えることとなりました。続くラウンド16のトルコ代表戦は、前半に失った1点を取り返せずに、0-1と敗戦。雨の宮城スタジアムで、日本代表は無念の敗退を喫しました。
「ノックアウトステージに行けたことは良かったですし、ひとつの目標だったので達成感はありました。ただ、すぐに切り替えてトルコ戦に向けてやっていこうとチームは一体感を持っていましたし、もっと上に行けるという雰囲気もあった。トルコ戦でも失点してからも、全然負ける感じはなかったんですが、そこで勝てなかったのが、あの時の日本の実力だったんでしょうね……」
それでも前回大会で3連敗に終わった日本は、ふたつの勝利を挙げて世界の16強に名乗りを上げたのは、大きな成果でした。そしてフランス、日韓と二度のワールドカップに出場した森島さんも、大きな財産を手に入れたと言います。
「ワールドカップで得た物は、自分がやってやるという気持ちを持つ大切さですね。積極的になにかをやるとい気持ちで臨んだことで、ゴールという結果も出すことができた。僕はスタメンでは出られなかったけど、常に準備をして、チャンスを待っていた。やっぱり、何も考えてないとチャンスは来ないんですよ。これは子どもたちにも言いたいことですが、僕は身長も大きくないですし、スピードもないですけど、思い切りやってやろうという想いを持って、チャンスを掴んでいったんです。それをあの舞台で証明できたのは何よりうれしかったし、最高の瞬間を経験でき、僕のキャリアにおいて大きな財産になりました。」
2002年を最後に日本代表には招集されず、森島さんは2008年にセレッソ大阪一筋のキャリアに幕を下ろしました。しかし、実は森島さんはその後、3度目のワールドカップを経験しています。前回、2014FIFAワールドカップブラジルに解説者として取材に赴いたのです。そこで改めて感じたのは、ワールドカップという大会の素晴らしさでした。
「今までは選手の立場でしたが、解説者として外から見ることで、新たな発見がありました。世界中から多くのメディアやファンが集まる大会ですし、全世界にも放映される。それだけ注目度の高い大会であることを、改めて実感しましたね。」
ブラジルでは試合会場だけでなく、街全体が熱気に満ち溢れていました。
「本当にお祭りのような雰囲気でしたね。大声で歌を歌う人もいましたし、いろんな格好をしたファンもたくさんいました。フェライニ(ベルギー代表選手)のかつらをかぶった人もいれば、お馴染み、マラドーナの格好をしたおじさんもいる。そんな各国のサポーターと一緒に写真を撮ったのは、良い思い出です。あと、国によってサポーターの雰囲気が違って面白いんですよ。アルゼンチンなんかは、ファンも自信があるというか威厳がある。アルゼンチンファンの大移動で渋滞に巻き込まれたこともありました。ブラジルまで乗り込んでくる彼らの姿を見て、ああ、やっぱりワールドカップは国と国との戦いなんだなって。いろんな国がまさに命がけで頂点を目指す戦いだからこそ、ワールドカップには他の大会では味わえない、魅力を感じることができるんだと思います。」
現在、セレッソ大阪でクラブスタッフとして働く森島さんは、ワールドカップ期間中にもクラブの仕事に追われることとなります。しかし、ワールドカップの魅力にどっぷりとはまってしまった森島さんはひそかな野望を抱いていました。
「本当はロシアにも行きたいんですけどね。気持ち的には、ロシアの空港に降り立っています。でも行ったら、会社をクビになるでしょう(笑)」
森島さんの4度目のワールドカップは、どうやら少し先のことになりそうです。
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