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キリンカップミュージアム スペシャルインタビュー Vol.4 宮本恒靖 ターニングポイントになる大会 ~多くの注目を集める中で~
2016年06月02日
-今年の『キリンカップサッカー』は2011年以来、5年ぶりの開催となります。宮本さんにとって、『キリンカップ』と聞いて真っ先に思い浮かぶ記憶とは?
宮本恒靖(以下宮本)僕が中学3年生の時にテレビ観戦した91年の『日本代表VSトッテナム・ホットスパーFC』戦の1シーンです。詳細は覚えていませんが、同ゲームに出場していたカズさん(三浦知良/横浜FC)とラモスさん(瑠偉/岐阜FC監督)がDFラインで相手選手に向かって「ボールを取りにこいよ」というようなジェスチャーをしていて。どうするのかなと思ってみていたら、相手が食いついてきたところでヒョイと味方のGKに渡し、GKがキャッチしたんです。今はルールが変わったので、そのプレーは反則になってしまいますが、当時はまだ許されていたプレーでしたから。そのシーンは強烈に印象に残っています。というのが、僕がまだ『キリンカップサッカー』を観る側だった少年時代の断片的な記憶ですが、プロとしてプレーするようになってからだと、僕自身の日本代表デビュー戦となった、00年6月に開催された同大会のボリビア戦はよく覚えています。
-00年の『キリンカップサッカー』は日本代表、ボリビア代表、スロバキア代表の3チームで戦いました。
宮本 当時は、02年に開催が決まっていた日韓ワールドカップに向けて日本のサッカーシーンがすごく注目を浴びていた時期でしたからね。そのことは選手である僕も自覚していただけに、日本代表の一員として戦うことへの責任は感じていました。と同時に、日本サッカーを牽引する立場にある日本代表に自分が絡んでいけることや、それまでのアンダー世代の日本代表にはなかった国際Aマッチのキャップ数が自分のキャリアに刻まれることも素直に嬉しかった。ただ、『日本代表デビュー』に特別な緊張感や気持ちの昂りがあったのかといえば、そうではなかったというのが正直な気持ちです。僕は2試合目、横浜国際競技場でのボリビア戦に後半から途中出場しましたが、当時は僕自身も出場した00年のシドニー五輪監督のフィリップ・トルシエ氏が日本代表の監督に就任した流れもあり、僕自身もどこかその延長線上みたいな感覚でプレーしていましたからね。そこまでの感慨深さはなかったけれど、でも、そのおかげで過度の緊張もせずに落ち着いて臨めたと部分もあったのかも知れません。
-以降も日本代表として定着される中で毎年、同大会に出場されました。
宮本 改めて振り返ると、この『キリンカップサッカー』は僕にとって、あるいは日本代表にとっても、ターニングポイントになるような試合が多い大会なんです。先ほどもお話ししたように00年大会では日本代表デビューを飾ることができましたが、01年大会は札幌ドームで開催された初戦のパラグアイ代表戦に出場できず…。秋田豊さんと2人で試合が終わってから走りに行ったり、練習後に居残ってヘディングの練習をしたりして、自分なりに悔しさを消化して大分ビッグアイでの2戦目、ユーゴスラビア戦を迎えた、と。その中で、後半途中から短い時間ながらピッチに立つチャンスを貰えた際には、翌年に開催されるワールドカップも見据えて「チャンスでしっかり自分をアピールしよう」という強い気持ちでプレーしたのを覚えています。また、03年大会も僕にとっては思い出深い。まず僕の地元である大阪の長居スタジアムで開催されたアルゼンチン代表との第1戦を1-4で大敗したことを受け、埼玉スタジアム2002で開催されたパラグアイ戦で、ジーコ監督は4バックの顔ぶれを全員、ガラリと変更したんです。DFラインは右から山田暢久さん、坪井慶介、僕、三都主アレサンドロで構成され、ヤット(MF遠藤保仁/ガンバ大阪)や嘉人(FW大久保/川崎フロンターレ)が初スタメンを飾ったのもこの試合でした。結果的に、試合はスコアレスドローで終えましたが、その後の06年のドイツワールドカップまでの戦いを振り返っても、明らかにこの一戦はジーコ・ジャパンにとって、大きなターニングポイントになりました。
-『キャプテン』として臨んだ04年以降の『キリンカップサッカー』にはどんな思い出がありますか。
宮本 まず04年大会はドイツワールドカップの一次予選を含め、ジーコ・ジャパンとして手応えを感じられない試合が続いていた中、かつ、7月下旬にはAFCアジアカップ2004を控えているという状況下で行われました。結果、広島ビッグアーチでの初戦のスロバキア代表戦に3-1で勝利した後、横浜国際総合競技場で戦った2戦目、セルビア・モンテネグロ代表戦もスルーパスにあわせて抜け出したヤットのゴールが決勝点となり、01年以来3年ぶりとなる優勝を飾ることができた。この優勝は、それまでのチームの流れを考えても、ジーコ・ジャパンとして自分たちのサッカーに対する自信を深めることができたという意味でも、すごく大きかった。もちろんいろいろな課題はありましたが、少なからず優勝という『結果』を残せたことが、その後、激戦を勝ち抜いたアジアカップでの優勝にも繋がったと思いますしね。そういう意味でも、どんな大きさの大会でも、相手でも、サッカーにおいて勝つこと、タイトルを獲ることがチームの勢いや自信に繋がるんだということを学んだのが04年大会でした。また、それとは対照的に惨敗を喫したのが05年大会です。新潟ビッグスワンでの初戦、ペルー代表戦にアディショナルタイムに失点を喫して0-1で敗れ、しかも国立競技場でのUAE代表戦も0-1と2連敗ですから。6月にはドイツワールドカップの最終予選を控えている状況下での一戦ということを踏まえても日本サッカー界を不安に陥れてしまうような結果になってしまった。ですが、この一戦を終えて最終予選のバーレーン戦を戦うべくアラブ首長国連邦に入り、いわゆる『アブダビの夜』として認知されているチームミーティングが行われましたからね。あの惨敗によって「自分たちは本当に変わらなければいけない」ということを確認し合って最終予選に臨み、結果を出せたという意味では、ある意味キリンカップがドイツワールドカップ出場のきっかけになった部分もあったと思います。
-宮本さんご自身は引退し、FIFAマスターを取得された後、かつてはご自身も在籍したガンバ大阪アカデミーで指導者としてのキャリアをスタートされました。現在の立場から見る『キリンカップサッカー』あるいは『日本代表』にはどんな期待を抱かれているのでしょうか。
宮本 『結果』を問われるのが日本代表ですが、内容的にもプレーの質、サッカーの質をもっと高めながらたくさんの人を魅了する存在であってもらいたいと思っています。なぜなら、それこそが例えばサッカーが不毛の時代と言われた70年代から、長きにわたって日本代表の戦いをサポートいただいているキリンビール株式会社さんをはじめ、応援して下さっている皆さんへの恩返しにもなるはずだから。もっとも、僕が言わずとも選手の誰もがその自覚と、日本代表としての誇りを持って戦っているはずですが、この先、日本サッカーがよりレベルアップしていくためにも、日本代表選手には常にその先頭に立って、日本サッカー界を牽引していってもらいたいと思っています。
-指導者としてサッカーに関わるようになった近年、選手だった時とは違う『サッカー』の面白さを実感することもありますか。
宮本 選手の『個の育成』を意識しつつ、結果を求めながら指導にあたる上で、選手が僕の伝えたことを試合で表現してくれたり、結果として表れた瞬間や、1つ1つのプレーをとっても選手の成長が感じられた時は素直に嬉しいです。また、試合中に戦術面での変化を与えたことがいい影響をもたらしたということを手応えとして実感できた時も大きな喜びです。というように、選手時代とはまた違ったいろんな面白さを感じていますが、僕はまだユースチームの監督に就任して1年目ですからね。本当の意味での面白さは、これから感じていくのではないかと期待しています。そういえば先日、プレミアリーグの『大阪ダービー』セレッソ大阪U-18戦で、0-3のスコアをひっくり返して逆転勝ちを収めたことがあったんです。その逆転を決めた瞬間は、思わず僕もガッツポーズが出てしまったのですが(笑)、選手時代には「よっしゃ~!」と拳を突き上げて喜ぶような瞬間が何度もあったけど、実は指導者になってから自然とそういう行動が出たのは、初めてだったんです。そう考えても、これから先、僕自身が指導者として、いろんな経験を積み上げていく中で、もっともっと指導の面白さ、サッカーの奥深さみたいなものに出会えるのではないかと思っています。
-最後に、今回の『キリンカップサッカー2016』はガンバ大阪が今季から使用している新ホームスタジアム、市立吹田サッカースタジアムでも開催されます。クラブの歴史に新たな第一歩を刻むことになりますね。
宮本 市立吹田サッカースタジアムの建設に際して、最終的に4万人収容のスタジアムにしようと決めたのは国際Aマッチを招致することが最大の目的でしたから。ここをトップチームのホームスタジアムとして使用し始めた最初の年に、日本代表戦が開催されるのはとても嬉しいことだと思っています。また、ガンバ大阪に関わる全ての人たちにとっても、ホームタウンの皆さんにとっても地元で日本代表戦が開催されるという事実は、誇りとなる出来事なんじゃないでしょうか。更にいえば、将来的にこのスタジアムで、プロとして活躍することを目指しているアカデミーの選手にとっても、刺激になるのは間違いないはず。いや、その刺激をより大きなものにするためにも、ガンバ大阪からたくさんの選手が日本代表に選出され、ホームの地で躍動してくれたら嬉しいです。僕もガンバ大阪の一員として開催を楽しみにしています。
宮本恒靖(みやもと つねやす)(ガンバ大阪ユース監督)
1977年2月7日 大阪府生まれ
1993年ガンバ大阪ユース所属時代にU17日本代表に選出。
1995年よりガンバ大阪入団
代表キャップ:72
2000年のキリンカップ対ボリビア戦で代表デビュー。
日本代表ではU-17、U-20、U-23、と全カテゴリーでキャプテンの経験を持つ。
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