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vol.001「もう、他人事ではない」 武智 幸徳氏
2012年05月01日
サッカーという競技は「人生の縮図」「人生そのもの」という言い方をよくされる。その解釈の仕方は人によってさまざまだろうが、私の思うところは、サッカーほど清濁併せ呑みながら疾走する競技はないということである。称賛に値すべき英雄的行為と人間不信に陥らせるような愚行、蛮行の類が一つの試合に同居し、頻繁に出現する。そのためにアップダウンは激しく、見ているとひどくストレスが溜まる。疲れる。だからこそ、ゴールと勝利が生み出すカタルシスは巨大になる。それまで積もり積もった矛盾、混沌、絶望を瞬時に一掃してくれるから。
サッカーが世界中の人々を虜にする理由の一つだろう。
そのゴールをワールドカップという世界が注視する舞台で「手で入れた男」と「手で止めた男」がいる。前者は1986年メキシコ大会のディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)で、後者は2010年南アフリカ大会のルイス・スアレス(ウルグアイ)である。マラドーナは準々決勝のイングランド戦でハンドのゴールを決めて「神の手のゴール」とうそぶき、スアレスは準々決勝のガーナ戦の延長終了間際、ドミニク・アディアーの決勝点を手でブロックして幻にした。リスペクトとかフェアプレーについて考えるとき、私の頭に思い浮かぶのはいつもこの二つの「手」である。
善悪の基準に照らせば、どちらも悪行に決まっている。戦う相手をコケにし、審判の目を出しぬいた、出し抜こうとした行為にはリスペクトの気持ち、フェアプレー精神のカケラもない。そもそも、手を使う抜け道を「あり」と受け入れたら、サッカーはバレーボールとかハンドボールになり、フットボールではなくなってしまう。そんなことが頻繁に起きるようになったら競技としての存立基盤が揺らいでしまうだろう。
ところが、である。南アのワールドカップを取材し、日本に帰国した後、とある場所で私が「あのスアレスの行為をどう思いますか?」と会場の聴衆に問いかけたら、ほぼ半数に近い人が「是」で挙手をしたのだった。
正直、驚いた。ある意味、日本のサッカーピープルもここまで「進んだ」か、と思った。それを「崩れてきた」と解する人もいるだろうが…。
マラドーナと違ってスアレスはその場で一発退場となり、次の準決勝も出場停止となった。代償は払ったわけである。スアレスのやったことは確かにひどいが、PKを決め損ねたアサモア・ギャンもかなり情けない。そんな見方もあってスアレスの行為を「いいんじゃない」となったのか。
いずれにしても、その場で私に胸にすとんと落ちてくるものがあった。それまで、ずっとマラドーナの手も、スアレスの手も、私には他人事だった。
議論の対象として楽しんできさえした。対岸の火事として。しかし、日本のサッカーピープルの意識がここまで「進んで」いるのなら、その意識の投影として、ワールドカップという舞台で手を使って、ゴールする日本選手、ゴールを止める日本選手が出てきても不思議はない、なと。
早晩、矢はこちらに飛んでくるのかもしれない。そのとき、私は「こんな勝ち方をしてもうれしくない」「名誉ある敗退を選ぶべきだった」「サムライなら恥を知れ」と書けるのかどうか。負けた国のメディアに「勝ちを盗まれた」なんて騒がれたら、「これもサッカーなんだよ」と言い返しそうで怖い。(了)
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