日本サッカー殿堂
掲額者
髙田 静夫TAKADA Shizuo
特別選考 2013年第10回日本サッカー殿堂入り
- 1947年8月5日 東京都生まれ
練馬区立大泉中学校、東京都立石神井高校、東京教育大学を経て、1970年より読売サッカークラブでプレー。東京教育大学では、MFとして68年度に関東大学リーグと大学選手権の二冠、69年度に関東大学リーグ2連覇を達成した。
選手引退後は審判員としての道を歩み、1980年に1級審判員、84年に国際審判員に登録される。1986年FIFAワールドカップメキシコ大会、スペイン対アルジェリア戦で、日本人として初めてワールドカップの主審を務めた。2年後のソウルオリンピックで主審と副審(線審)など、そして1990年のFIFAワールドカップイタリア大会にも参加し、主審を1試合、副審(線審)を3試合、第4の審判(予備審)を3試合務めた。JSL 主審92試合(1983-92年)、Jリーグ 主審 26試合、副審2試合(1993-94年)。
1994年に現役審判員を退いた後は、後進の育成に取り組み、96年からはAFC、02年からはFIFAのアセッサーとして活動。06年にはFIFAワールドカップドイツ大会の審判アセッサーを務めた。その一方で、96年にJリーグ審判委員長、98年にJFA理事、同審判委員長に就任。06年の退任まで、審判員のプロ化(PR制度)やレフェリーカレッジの設置など、強化・育成のための制度を確立した一方、審判員の評価、昇級制度、インストラクター制度を積極的に改善して、審判員の水準の底上げや地位の向上を図るとともに、審判員登録者数を拡大し、組織の安定化や情報伝達の迅速化を実現した。その結果、審判員の裾野が拡大し、トップレフェリーのレベルも向上、日本は世界大会に多くの審判員を送り出し、そのレベルが評価されるようになった。
1993年 Jリーグ最優秀審判員賞、1996年 FIFA審判特別賞、2009年 AFCスペシャルアワード(ブロンズ)