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日本サッカー殿堂

掲額者

MARIUS JOHAN OOFT Marius Johan OOFT
特別選考 2013年第10回日本サッカー殿堂入り
MARIUS JOHAN OOFT
1947年6月27日 オランダ生まれ

オランダ協会の育成部門でユース年代の指導や指導者養成にあたっていた1980年、ヨーロッパに遠征中の高校日本選抜チームを指導したことが縁となり、1982年7-8月にヤマハ発動機のコーチとして来日。短期間でチームの再建を図り、ヤマハを、日本サッカーリーグ2部優勝、1部復帰とともに天皇杯初優勝に導いた。1984-88年には、マツダを率いてJSL1部昇格、天皇杯準優勝の結果を残した。

そうした実績が評価され、1992年3月、「日本をワールドカップに出場させること」を目標に掲げ、日本代表監督に就任。「アイコンタクト」「トライアングル」「コンパクト」などの言葉を用いて、現代サッカーに必要な基礎技術を徹底、代表のみならず日本サッカー界に広く浸透させ、日本のスタイルの礎を築いた。同年8月には、第2回AFCダイナスティカップで優勝し、1930年極東選手権以来の公式国際大会タイトルを獲得。続く10月には、第10回AFCアジアカップ(広島)で優勝、日本代表チームを、悲願であった初のアジア王者へと導いた。翌1993年10月のワールドカップアジア最終予選では惜しくも初の本大会出場を逃したが、初の外国人監督として、1年半足らずで、選手の力を最大限に引き出し、代表チームを確実にレベルアップさせた。それまで日本が乗り越えられなかったアジアの壁を打破し、日本をアジアの強国に押し上げ、その地位を強固なものにした功績は計り知れない。日本代表監督として、38戦/18勝、11分、9敗。

また、代表の活躍が広く認められたことがJリーグ開幕への大きなバックアップとなり、人気増大に繋がったことも、功績の一つである。

代表監督退任後は、ジュビロ磐田、京都パープルサンガ、浦和レッズの監督を務めた。J1リーグ戦合計 209試合/100勝、12分、97敗。
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