JFAのこれまでの歩み
1921年9月に「大日本蹴球協会」として設立されたJFAは、100年近くにわたってスポーツの普及と強化に努め、国内外における友好親善に努めてきました。2020年に100回目となる天皇杯全日本サッカー選手権大会をはじめとした様々な競技会は、サッカーの魅力を多くの人々に伝え身近に感じてもらうことにつながりました。1980年には全日本女子サッカー選手権大会、1989年に日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)が始まると、女子サッカーの強化の基盤が整い、1991年には中国で開催されたFIFA女子世界選手権(ワールドカップ)へ出場。その20年後の2011年のなでしこジャパン世界制覇へとつながります。この間、シニアサッカー、キッズサッカー、そして各年代のあらゆるサッカーの活躍の場を広げてきました。
サッカーの普及に大きく貢献してきたのは、その時々の日本代表の活躍です。1936年のベルリンオリンピックでスウェーデンに勝利した「ベルリンの奇跡」、1968年のメキシコオリンピックでの銀メダルは、日本サッカーの盛り上げに大きくつながるターニングポイントとなりました。一方で、1993年に開幕したJリーグは、企業スポーツからの脱却を図り、地域に根ざしたクラブを日本全国につくるという理念を掲げました。その後、1995年の日本フットサル連盟発足や2006年の全国ビーチサッカー大会のスタートといった新たなカテゴリーの創設や、同じ年の国民体育大会のU16化といった競技会の充実はもちろんのこと、2003年からのJFAキッズプログラム、2007年からのJFAこころのプロジェクト、2014年のJFAグラスルーツ宣言、リスペクト・プロジェクトなど、サッカーの競技そのものの発展だけを考えるのではなく、その時々の社会の課題を捉えたスポーツだからこそできる取組を積極的に展開してきました。
このようなスポーツ界をリードする多様な取み組みを推進する礎となったのは、2005年1月1日に当時の川淵三郎会長が天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝戦の会場である国立競技場で行った「JFA2005年宣言」です。この宣言のスローガン「DREAM~夢があるから強くなる~」に合わせて発表した「JFAの理念」には、初めて「豊かなスポーツ文化の創造」「社会の発展への貢献」といったワードが盛り込まれ、2012年の公益法人への移行に合わせて定款の「目的」にも反映されました。