2019.12.23
第28回全日本高等学校女子サッカー選手権大会が2020年1月3日(金)に開幕します。高校日本一を決する大会に出場した選手はどのような青春時代を過ごしてきたのか。ここではなでしこジャパン(日本女子代表)でキャプテンも務める熊谷紗希選手の高校時代のストーリーをお届けします。
なでしこジャパンでキャプテンを務める熊谷紗希。ヨーロッパの強豪オリンピック・リヨンで長年にわたってレギュラーを務め、今年12月2日(月)にはAFC最優秀選手賞に選出されるなど、日本だけでなくアジアを代表する選手として存在感を示している。
北海道札幌市出身で、兄の影響で自身も小学3年生の時に本格的にサッカーを始める。トップ下やボランチ、ウイングなどさまざまなポジションを経験し、札幌市選抜では「背が高いから」という理由でGKも務めたという。
中学までは地元で過ごし、高校の進路を選ぶ際、熊谷は宮城県仙台市にある高校女子サッカーの名門、常盤木学園高校に練習参加し、同校への進学を決意する。サッカー部の阿部由晴監督は、その時の印象をこのように語っている。
「数日間練習に参加して、帰る時には『常盤木に来ます』と言って帰っていきました。高校生の中に入っても違和感なくプレーできていましたし、当時からポテンシャルは非常に高かったですね」
中学まではさまざまなポジションでプレーした熊谷だが、常盤木学園では主にボランチを務めた。熊谷自身は「練習参加した時に『ボランチかトップ下をやっています』と伝えてプレーさせてもらい、自分でも自信を持ってやれるポジションでした」と当時を振り返っているが、阿部監督はさらに先のことを見据えていたようだ。
「将来的にはセンターバックがいいだろうと思っていましたが、ボランチとしてプレーしたほうが、センターバックに転向しても有効だろうと。将来を見据えてもボランチが適任かな、という感じでした」
熊谷は入学後すぐにレギュラーポジションをつかんだ。「3年生の田中明日菜(現慶州韓国水力原子力FC)と比較しても断トツに良かった」と阿部監督が絶賛するほど早々に才能を発揮し、当時は8月に行われていた全日本高等学校女子サッカー選手権大会にも1年次から出場している。
サッカーに打ち込む一方、学業も優秀だった。阿部監督は「サッカーをやっていなければ東大に進学し、官僚になって日本を動かす人物になっていたかもしれない」と冗談交じりに語っているが、定期テストの成績なども非常に良かったという。また、そのクレバーさはピッチ上でも発揮された。阿部監督は次のように証言する。
「瞬間的な状況判断は非常に長けていました。次に何をすればいいのか、その先の展開がどうなるかまで読めていたので、1本のパスが無駄にならなかった。それに対して周りの選手たちも共鳴して動き出していました」
また、熊谷は常盤木学園での学生生活全般を満喫していたという。寮生活は「普通に溶け込めましたし、わいわいご飯を食べるなど、楽しい思い出ばかり」と回顧。「何をするにもそばに人がいるので、ホームシックにもならなかったですし、寂しいとも思わなかったです。同期のチームメートとは家族よりも一緒にいる時間が長く、みんな仲が良かった。サッカー部以外の同級生とも仲良くなりましたよ」と振り返っている。
体育教師としても勤務し、授業など学校生活でも熊谷と接していた阿部監督は、愛弟子の高校生活を次のように語っている。
「勉強も学校生活も非常に楽しんでいて、生き生きしていました。だから教えるほうも変わっていくし、周りの生徒も変わっていった。そういう影響力はかなりありましたね。体育の授業を受け持ったこともありますが、負けず嫌いで、クラスの中でチーム分けすると、そのチームをまとめて勝つ方向に持っていく。負けてたまるか、と常に動いていました」
日常生活の中でも天性のリーダーシップを発揮していた熊谷。高校2年次にはなでしこジャパンに初招集され、3年次はキャプテンとしてチームを“日本一”へと導くことになる。
大会期間:2020/1/3(金)~2020/1/12(日)
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