2020.12.27
第99回全国高校サッカー選手権大会が12月31日(木)に開幕します。高校年代の大舞台に立った選手はどのような青春時代を過ごしてきたのか。ここではFC東京で主力を担い、U-23日本代表でも東京オリンピック出場を狙う渡辺剛選手の高校時代のストーリーをお届けします。
インタビュー前編 ~急激な体の変化とセンターバックへの転向~ 渡辺剛選手(FC東京)
インタビュー中編 ~自分だけの武器を手に入れ、夢の舞台へ~ 渡辺剛選手(FC東京)
山梨学院大学附属高校(現山梨学院高校)3年時に第93回全国高校サッカー選手権大会に出場した渡辺剛。1回戦、2回戦を勝ち抜き、3回戦では優勝候補にも挙げられていた前橋育英高校と対戦した。
渡邊凌磨(現モンテディオ山形)や鈴木徳真(現徳島ヴォルティス)、坂元達裕(現セレッソ大阪)などを擁する相手に拮抗した試合を演じ、前半をスコアレスで折り返すと、後半開始早々には宇佐美佑樹のゴールで先制に成功する。しかしわずか8分後、CKから宮本鉄平(現ソニー仙台FC)にヘディングシュートを決められ、同点に追いつかれてしまう。この時、宮本のマークについていたのが渡辺だった。
「僕がマークを外して決められてしまいました。『やっちゃったな』という気持ちになりました」
試合は1-1のまま80分間を終え、PK戦に突入する。山梨学院は後攻となり、渡辺は2人目のキッカーを務めて見事に成功させる。5人ずつが蹴り合って1人も失敗せず、PK戦も延長へ。前橋育英の6人目が成功させた後、山梨学院は渡辺とセンターバックのコンビを組んでいた大野佑哉(現松本山雅FC)が相手GKに阻まれ、PK戦5-6で惜しくも3回戦敗退となった。
「高校サッカーが終わっただけのはずなのに、自分のサッカー人生が終わったな、というぐらいの悔しさや悲しさが湧き上がりました。チームメイトへの申し訳なさもありましたし、仲間たちと試合ができるのも最後だったので、悔しい思いが一気に溢れ出たのを覚えています」
渡辺は敗戦直後の心情について、そのように振り返っている。一方で、優勝候補と互角の戦いを演じられたことへの満足感もあったという。
「あの前橋育英を相手によく粘れたな、という印象もありましたし、カウンターからもう1点取れたかな、という場面もありました。トータルではすごくいい試合ができたと思っています」
大会後、渡辺は大会優秀選手に名を連ね、「自分より能力が高いと思うような選手もたくさんいた中で選んでもらえたので、すごくうれしかった」という。目標としていた選手権優勝は果たせなかったが、渡辺にとって山梨学院で過ごした3年間は、充実感に満ちた日々だったようだ。
「自分の中ではやり切った感がありました。選手権にも出ることができましたし、そこでの試合内容も、みんなが後悔するようなものではなかった。その意味ではすごくいい高校生活を送れて、自分の中では満足しています。サッカー人生で初めて、少しは報われたかなって思える時代でした」
高校卒業後は中央大学に進み、2019年にFC東京への“復帰”を果たした。日の目を見なかった小柄な選手は、空中戦で圧倒的な強さを見せる大型センターバックとして再び青赤のユニフォームに袖を通すこととなった。変わったのは外見だけではない。渡辺は高校の3年間で、内面から大きな成長を遂げたという。
「高校時代、一時期わがままというか、うまくいかない時にすぐ投げ出したり、逃げたりしてしまう自分がいました。吉永一明監督(当時)や仲間たちに支えられて改善することができましたし、謙虚にならないと仲間がついてこない、自分の実力が上がらないということを学びました。それは今につながっている部分でもあります」
FC東京U-18に昇格できず、本来のポジションだったボランチやサイドバックでも限界を味わった。高校2年時には「実力だけなら自分たちがナンバーワン」という自負がありながら、山梨県予選を突破できず選手権出場を逃した。最終学年となり、ようやくたどり着いた夢の舞台では、自身のミスからゴールを献上し、PK戦の末に敗れた。
何度も挫折を味わい、苦難に直面したが、そのたびに乗り越えてきた。渡辺はそんな自身の強みを、次のような言葉で表現している。
「中学も高校もハッピーエンドで終われず、やり残したことがあったからこそ次の舞台で頑張ることができました。選手権では全力を尽くしましたが、最後は悔しい思いをして終わった。だから、次の舞台ではもっと頑張らないとその悔しさを取り返せないという気持ちになり、それが力になっているのかなと思います」
大会期間:2020/12/31(木)~2021/1/11(月・祝)